僕たちはクリスチャンじゃないのに、
何故10年間もクリスマス公演をやってきたのか。

製作総指揮 加藤昌史

僕が住んでいる府中市というところには、「くらやみ祭」というお祭りがあります。
これは司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』の冒頭にも出てくるほど古いお祭りで、府中市民はこの5月3・4・5日に行なわれるお祭りのために1年間働いている、と言っても言いすぎではありません。

実際、同じ根っからの府中市民であるうちのスタッフの山中歌子という人は、この3日間は会社を休んでしまうくらいです。
山中のお兄さんは、お神輿の担ぎ手なので、家を出たまま3日間帰ってこない、ということです。
でも、僕は府中市民でありながら、23区内の国立(こくりつ)の小学校から、国立(くにたち)にある私立の中学に進んだせいで、地元に友だちがほとんどいません。
ですから、いつもくらやみ祭では神輿をかつぐこともなく、指をくわえて見ていることしかできませんでした。

キャラメルボックスを結成して3年目の1987年の12月。
僕たちは新宿のTHEATER/TOPSという小劇場で公演をしました。とても人気のあるホールで、空いていたのが、この12/25〜30という期間だけだったのです。
僕らは新参者でしたので、こんな有名なホールが使わせてくれるというのだったら、どんな期間でもやりたかったのです。
しかし、こんな年の瀬も押し迫った時期に芝居なんか見る人はいないだろう、と悲観的なまま、初日を迎えました。

期せずして、その日はクリスマス。せっかくのクリスマス・イヴを劇場で過ごした僕たちは、クリスマス当日ぐらい楽しもうよ、とロビーに飾りつけをし、受付の女の子は赤とグリーンのパジャマを着て、開演しました。
それが、意外なことに楽しかったのです。
翌年、代表の成井の「師走に芝居を見る人なんていない!」という猛反対をものともせず、僕は12/19〜25というとんでもない期間、新宿のシアターモリエールというホールを押さえました。
「お客さんたちみんなとクリスマスパーティーをしよう!!」と。 当時の世の中の常識は、「12月はお客さんが入らない」というものでした。実際、前売券は売れませんでした。
しかし幕が開くと、毎日ものすごい数のお客さんが押し寄せました。終ってみると、その前の夏の公演から、なんとお客さんが1000人も増えていたのです。

その作品が、この『不思議なクリスマスのつくりかた』のキャラメルボックスでの初演でした。

実はこの作品、大学時代に『キャラメルばらーど』というタイトルで上演していた作品の、クリスマス・バージョン、というべきものなのです。
そしてもっと言えば、現・代表の成井が、現・チャーリー・ブラウン役の大森主演で上演した本当の初演を見た当時アイビー小僧だった僕が、あまりの感動に、バンドもサークルも全部辞めてその日の内に劇団に加入した、という思い出深い作品です。
しかも、それから3年後、僕がその学生劇団の演出になったとき、当時早稲田大学法学部の1年生だった新人の西川浩幸くんを犬のスヌーピー役に抜擢して、再演した、若気の至りの詰まった作品でもあります。

1988年の『不思議なクリスマスのつくりかた』キャラメルボックス初演の頃は、バブル全盛期で、世の中は、クリスマスというと「彼女とベイエリアのホテルで過ごすクリスマス・イヴ」でした。
赤と緑に彩られた、様々な「商品」が街に溢れました。
「クリスマス商戦」なんて言葉が出てきたのも、この頃です。 そんな時、僕たちはこの淋しくて楽しい作品を上演して、お客さんたちみんなとお祝いをしていたのです。
それから8年。毎年、キャラメルボックスはクリスマス公演をやってきました。
時代はどんどん変わり、「バブリーなクリスマス」は去りました。
僕たちは、あの時代 、チラシやパンフレットから赤とグリーンを排除した宣伝をしていました。
なぜなら 、その色が、「クリスマス商戦」を象徴していた気がするからです。
僕らは、僕らが 楽しくてこのクリスマス公演を始めたのに、まわりが勝手に商売の材料にしちゃって 、なんだかそれに乗ってチケットを売ろうとしているみたいに思われるのがイヤで、 逃げていたんです。

しかし、10回目のクリスマス公演となった今年は、あえて堂々と赤とグリーンでいこうと思いました。
だって、クリスマスは僕らの世代が住んでいる土地を超えて一つになれる、唯一のお祭りなんじゃないかな、と思い返したからです。
西洋からやってきた、この「1年でたった1回、いちばん大切な人に素直に“ありがとう”を言える お祭り」を、僕らの世代は自分たちのものとして受け入れました。
そして、そういう意味での、「心からのプレゼント」を、僕たちはずっとお届けしていきたい、と思っ たのです。
10年間、クリスマス公演で1年が終る、という生活を、キャラメルボックスは続けてきました。
そして、1年で唯一のお休みであるお正月がやってきます。
「くらやみ祭」を自分のお祭りに出来なかった僕は、今ようやくクリスマスを自分のお祭りにすることができた気がしているのです。

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