元治元年7月18日。蛤御問の変

新撰組は屯所をでて、勧進橋の手前に陣をかまえた。勧進橋は京都の南の玄関口。南へ3キロ行けば、伏見に着く。伏見の長州藩邸に陣を構えた福原越後の軍を迎え撃つ。これが新撰組に与えられた指名だった。京都を包囲した長州軍は、総勢3000。それに対する幕府軍は総勢40000、幕府軍が負けるわけがなかった。

御所の様子を見に走った迅助は、蛤御門の方角から大砲の音が鳴り響くのを土方に伝えた。新撰組が蛤御門に到着したときには、すでに戦いが終わっていた。最新の兵器を持つ薩摩軍によって長州軍は残らず敗走したのだった。

燃え上がる市中で兵庫と迅助は、焼け落ちた柱で足を怪我をした美祢を発見した。彼らは美祢を背負って桃山診療所へ向かうのだった。