元治元年6月5日、夜。京都洛中、池田屋。

近藤勇、沖田、迅助、兵庫ら新撰組の隊士たちは、長州浪人の集まる池田屋を囲んだ。
長州浪人は、丹虎と池田屋を根城にしているという情報を得たためだ。新撰組は今にも池田屋に斬り込もうとしている。もう一方の丹虎には土方らが向かっていることだろう。これは、長州の浪人が御所を焼き払い、騒ぎに紛れて帝を長州へ連れさるという計画を事前に阻止するための策だった。

池田屋に斬り込むと同時に、迅助は「敵は池田屋に結集」している旨を土方に伝えるために京都を駆け抜けた。迅助の足は並成らぬ速さだった。あっと言う間に丹虎にいる土方に伝え、その足で所司代屋敷にかけつけ所司代に援軍の約束をとりつけ、守護職にも援軍の要請をした。走行距離およそ6800メートルを、わずか18分で走り抜けたのだ。

斬り合いが始まった。長州の浪人・宇部鋼四郎(近江谷太朗)と小野田鉄馬(南塚康弘)は、迅助・兵庫・沖田と剣を交えていた。しかし、沖田がその場で喀血してしまう。長州の二人は逃亡。迅助・兵庫は沖田を連れてその場を切り抜けた。