元治元年7月30日、昼。京都洛中、桃山診療所。

美祢が桃山診療所を退院する日だ。弟の剣作が診療所まで迎えにきていた。そこに見送りのために、迅助と兵庫がやってくる。剣作と美祢が、迅助・兵庫・沖田を呼んだのだ。ところが沖田は来なかった。
そこへ診療所の奥から、囚われの身となっているつぐみ、その、たか子が連れてこられる。長州の浪人、小野田と宇部も一緒にでてきた。美祢と剣作は、この長州浪人とグルになっていて、沖田を斬るチャンスを伺っていたのだ。そもそも美祢は、焼け落ちた柱で怪我をしたのではなく、自作自演の怪我だったのだ。

妹のそのを人質に剣作は、沖田を殺してこい、と迅助を脅す。沖田は手ごわいが丸腰になれば斬れるかもしれない。沖田を丸腰にできるのは、迅助しかいないだろう。
迅助は仕方なく診療所を飛び出て、屯所に向かった。

新撰組屯所に到着すると何も知らない沖田が、迅助を迎えてくれた。
迅助は沖田に「ちょっとつきあってほしい」と屯所の外に誘いだす。
しかし迅助は、どれだけ歩いても沖田をどう斬ったらいいのか、わからずにいた。二人は島原を過ぎ、朱雀を過ぎ、1時間も歩きまわって東寺にたどり着いた。

「せめて理由を教えてくれませんか。私を斬るつもりなんでしょう」

ふいに沖田が迅助に問いかけてきた。
迅助は事情を全てを沖田に打ち明け、勝負を願い出るが沖田はそれを断った。

「土方さんを呼んできてもらえますか? 敵は4人です。私ひとりでは心許ない。私はあなたと土方さんが戻ってくるまで屯所で待ってます」

沖田の戦う意思に迅助は沖田に背を向け、大阪に向かって移動している途中の土方を追った。
1時間ほど走ったところで迅助は土方に追いついた。事情を聞く土方の顔色が変わった。

「馬鹿、なぜ総司をひとりにした!あいつひとりで死ぬつもりでいやがる」

あわてて桃山診療所に向かって走りだす迅助。土方も馬を調達して桃山診療所に向かった。

桃山診療所に沖田が現れた。
沖田は刀を捨て、斬られにきたことを告げる。つぐみに手紙を渡す沖田。
秋吉は沖田に刀を向けるが、その瞬間、走り続けた迅助が桃山診療所に戻ってきた。

「沖田さんに手をだしてみろ。今度は俺があんたを殺す」

新撰組の沖田・迅助・兵庫と長州の宇部、小野田、剣作の斬り合いが始まった。沖田につけてもらった稽古のまま果敢に刀を振る迅助の活躍で、宇部・小野田、剣作が傷を負った。
刀を振りまわす迅助に兵庫が言った。

「斬るな、迅助!おまえの仕事は走ることだ。死んだり、殺したりすることじゃない」

迅助の後を追ってきた土方が到着した。
宇部、小野田に斬りかかる土方を沖田が制した。

「土方さん、 もうやめてください。ここは診療所です。傷ついた人を助ける場所なんです」

斬られた宇部や小野田も刀を引き、美祢、剣作とともに逃げるようにその場を立ち去った。
傷つきながらも誰も死なずにすんだ戦いだった。

平静を取り戻した桃山診療所。
沖田から受け取った手紙を読むつぐみ。

つぐみ殿。
願わくば、心にお留め頂きたき事。
新撰組は、誠の旗の下に集いし者達にて候。
即ち、死を恐るることのなき男ども也。
それがし、常より感ずるに、己の死は恐るるに足らず。
されど近藤先生並びに土方先生の死は耐え難き事にて候。
我が剣は帝の為ならず。
上様の為ならず。
すべては、近藤・土方両先生の為にて候。
それが我が誇りにて候。
本日、剣の為に倒るるも、我が本望と覚えられたし。
両先生が命ある内に死にたるが、それがしの本望にて候。
但し、つぐみ殿の有り難き診療を、甲斐なきものにせざるを得ず、その事のみ、何とぞご容赦頂きたく願い上げ奉る。
重ねて、心にお留め頂きたき事。
この世に、沖田総司なる、取るに足らぬ男の風が、短く強く吹きし事。

明治元年1月3日。

伏見で幕府軍と薩摩・長州連合軍が衝突。
1月5日。幕府軍は完全に敗北。連合軍は最新式の銃で攻撃、幕府軍は大阪へ逃げた。
兵庫は負傷し、美祢に介抱を受けることとなった。幕府軍はそのまま船で江戸に向かった。兵庫は置いていかれたのだ。
兵庫は江戸に向かうが、すでに方々に散っていて行方がわからなくなっていた。迅助の行方もわからなかった。

6月5日。沖田が千駄ヶ谷にいるという知らせを受け、兵庫はかけつけるが遅かった。3日前に死んでいた。

そして、明治2年5月30日、函館五稜郭の戦が終わった。土方は最後まで新撰組として幕府のために戦っていた。土方の死によって新撰組の歴史は完全に幕を閉じたのだ。