文久3年 1863 2月 4日 清河八郎・山岡鉄太郎らの呼びかけにより、将軍ご上洛お先供有志浪士隊が結成される。近藤勇・土方歳三・沖田総司らもこれに参加。
8日 浪士隊が江戸を出発
23日 浪士隊が京都洛外壬生村に到着。本部は新徳寺、近藤らは八木源之丞宅に寄宿。
3月 4日 ●14代将軍・徳川家茂が上洛。
13日 浪士隊が江戸へ出発。壬生村に残留した近藤ら13名は会津藩主・松平容保のお預かりとなり、京都市中警護を開始。名を壬生村浪士隊と改める。
4月 21日 壬生村浪士隊、将軍・家茂の下坂に従い、道中警護にあたる。
8月 18日 八月十八日の政変。壬生村浪士隊は御所内お花畑に出陣。この日、壬生村浪士隊は、幕府より「新撰組」の名と京都市中警護の職を拝命。
9月 18日 近藤ら、芹沢鴨らを島原・角屋で暗殺。
元治元年 1864 1月 8日 新撰組、将軍・家茂の下坂に従い、道中警護にあたる。
3月 27日 ●武田耕雲斎ら、筑波山で挙兵。(天狗党の乱)
6月 5日 新撰組、三条小橋・池田屋を襲撃し、長州浪人・吉田稔麿ら7名を斬殺。(池田屋騒動)
7月 18日 蛤御門の変。新撰組は九条河原へ出陣。
8月 2日 ●将軍家茂より、長州征討の命が下る(第一次長州征伐)
9月 9日 近藤ら、隊士募集のため江戸へ。伊東甲子太郎ら、新撰組に入隊。
慶応元年 1865 2月 23日 新撰組隊士・山南敬助、脱走の罪により切腹。
4月 27日 土方ら、隊士募集のため江戸へ。品川竹次郎・神田松吉ら、新撰組に入隊。
5月 12日 ●幕府、和歌山藩主徳川茂承を征長先鋒総督に任ずる。(第二次長州征伐)
11月 16日 近藤、幕府軍とともに広島へ。
慶応2年 1866 1月 7日 土方・沖田ら、伏見・寅田屋で長州藩士・桂小五郎らと戦う。(寅田屋騒動)
1月 21日 ●坂本竜馬・中岡晋太郎の周旋により、薩長同盟成立。
6月 7日 ●幕府軍と長州の間で戦闘開始。
7月 20日 ●徳川家茂、死去。
12月 5日 ●一橋慶喜、15代将軍となる。
12月 25日 ●孝明天皇、崩御。明治天皇即位。
慶応3年 1867 3月 20日 伊東甲子太郎ら16名、新撰組から分離。
6月 10日 新撰組、幕府召し抱えとなる。
10月 14日 ●将軍慶喜、朝廷に対して大政奉還を奏上。
11月 15日 坂本竜馬、河原町・近江屋で暗殺される。
11月 18日 近藤ら、伊東甲子太郎を油小路で暗殺。
12月 9日 ●王政復古の大号令。
12月 18日 近藤、二条城からの帰路に狙撃され、重傷を負う。
12月 20日 近藤・沖田、治療のため下坂。
明治元年 1868 1月 3日 ●鳥羽伏見の戦い。新撰組は淀千両松の戦闘に破れ、橋本へ撤退。
1月 10日 新撰組、富士山艦・順動丸に乗船して、大阪を出帆。
1月 15日 新撰組、品川に上陸。近藤・沖田は神田和泉橋の医学所へ。
3月 1日 近藤・土方ら、甲陽鎮撫隊として、甲州へ出発。勝沼で官軍と戦い、敗走。
3月 14日 御箇条の御誓文、発布。
4月 1日 新撰組、流山へ。官軍が流山を包囲。近藤のみ投降。土方らは逃走。
4月 11日 ●江戸城無血開城。
4月 25日 近藤勇、板橋で斬首される。
5月 30日 沖田総司、千駄ヶ谷で病死。
10月 12日 土方ら、宇都宮・白河・会津などを転戦した後、仙台で榎本武揚の艦隊に乗艦し、蝦夷地へ向かう。
10月 25日 榎本軍、箱館五稜郭を占領。
11月 25日 土方ら、松前・江差を攻略し、蝦夷地を平定。
明治2年 1869 5月 11日 土方歳三、戦死。

新撰組
文久3年(1863)3月13日、近藤勇・土方歳三・沖田総司らによって結成された浪士隊。京都守護職の会津藩士・松平容保のお預かりとして、将軍の護衛と京都の治安維持につとめた。当時、京都は脱藩浪人たちによる暗殺事件が頻発しており、新撰組はその取り締まりにあたったのである。池田屋騒動では、7人の脱藩浪人を斬殺。新撰組の名を全国に轟かせた。最大時には200名を越える隊士で膨れ上がったが、維新後は幕府軍とともに京都を追われ、次々と隊士を失っていく。明治2年(1869)5月11日、土方歳三が箱館で戦死したことによって、新撰組は最後の幕を下ろした。

八月十八日の政変
文久3年(1863)8月13日、朝廷は「来る8月20日、天皇は攘夷祈願のために大和へ行幸される。続いて、攘夷親征のために伊勢神宮に参拝される」と発表した。これは尊皇攘夷派の長州藩による政治工作で、行幸・参拝に乗じて江戸へ攻め上り、幕府を倒そうという策略だった。それに対して、公武合体派の薩摩藩・会津藩らはクーデターを計画。8月18日夜、薩摩系の公卿・中川宮は、孝明天皇の許しを得て、長州系の公卿に禁足(御所への出入り禁止)を命じ、長州藩の堺町御門護衛を解いた。一夜にして、朝敵となった長州藩は、長州系の公卿・三条実美らとともに都落ちして、長州へ帰った。

池田屋騒動
元治元年(1864)6月5日、新撰組は四条大橋の古道具屋・桝屋の主・喜右衛門を逮捕。厳しい拷問の末、実の名は近江浪人の古高俊太郎であること、古高ら脱藩浪人たちが6月20日を期して、京都の町に火をつけ、その火に乗じて、会津藩主・松平容保を暗殺する計画を立てていることなどを突き止めた。その夜、新撰組は古高が出入りしていた三条小橋前の旅館・池田屋を襲撃。古高奪還を謀議していた、肥後浪人・宮部鼎蔵、長州浪人・吉田稔麿ら、7名を斬殺した。この騒動の報せを受けた長州藩のうち、急進派の来島又兵衛・久坂玄端らは、直ちに上洛を決意。後の蛤御門の変を引き起こすことになる。

蛤御門の変
元治元年(1864)6月22日、来島又兵衛の率いる長州軍は、京都を包囲。武力を背景にして、文久3年8月18日以前の状態に戻すよう、朝廷に訴えた。が、薩摩藩士・西郷隆盛の工作により、朝廷は長州追討を決意。長州軍もまた、孝明天皇を長州へ動座させるべく、御所突入を決意した。そして7月19日、長州軍はついに御所西側の蛤御門に殺到。迎え撃つ会津軍・薩摩軍と激突した。が、薩摩軍の近代装備の前になすすべもなく敗退。来島又兵衛・久坂玄端は戦死。この後、朝廷・幕府は、長州藩を壊滅させるべく、長州征伐へと乗り出すことになる。

寅田屋騒動
慶応2年(1866)1月2日、新撰組の土方歳三と沖田総司は、岩国藩の京都藩邸に長州藩士・桂小五郎、土州浪人・坂本竜馬、同じく土州浪人・中岡慎太郎の三人が潜伏していることを突き止めた。1月7日、三人が伏見の旅館・寅田屋に逃げ込んだところを急襲。あと一歩のところで、三人の応援に駆けつけた薩摩郡に邪魔され、やむなく撤退した。その後、桂小五郎は薩摩藩邸へ行き、後から駆けつけた坂本竜馬の周旋により、薩長同盟を締結した。一説には、寅田屋にいた坂本竜馬と中岡慎太郎は全くの別人で、元新撰組隊士の品川竹次郎・神田松吉であったという。


参考文献
司馬遼太郎「燃えよ剣」(新潮文庫)
司馬遼太郎「新撰組血風録」(角川文庫)
子母沢寛「新撰組始末記」(中央公論社)
童門冬二「沖田総司」(成美文庫)
童門冬二「新撰組」(成美文庫)
歴史群像シリーズ「血誠新撰組」(学研)
成井豊+真柴あずき「俺たちは志士じゃない」(キャラメルブックス)